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by peacetree
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オトナ語の謎
from わたしのブログ
もっと詳しく【鹿島丈博】
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10年後また会いましょう


::::: 2004年5月14日 Fri :::::

私にもあなたにも同じように時計は時を刻んでいて 
1年は365日で 
1日は24時間で 
1時間は60分で 
それは誰にも平等に与えられた時間 
でも それぞれ 重みも意味付けも異なる 

14日 AM1:00 
届いたメールの内容が気になって電話した 
電話先の声は想像よりは落ち着いていたけど やっぱりつらそうだった 
そうだよね 私もショックだもの 

        ++++++++++

フィリピンにいた頃 通っていた日本人学校は少人数で1学年30~40人ほど
4年のとき 2クラスあって私は1組
男 7名 女 8名
美術が専門のM先生の下にとても仲良く 皆で一緒によく遊んだ
クラス全員で交換日記もしたし
先生の家に全員で泊まりに行ったこともあった
教室の真ん中に段ボールでクラスのシンボル マンゴーツリーを作ったり
各自の手型をモチーフにクラスの旗を作ったり
勉強なんか全然しなかった
授業つぶして ドーナッツを揚げてお茶会をして
お茶会では クラスの歌を全員で合唱

男女でしょっちゅうケンカもしたし 仲間はずれもあった
そんなときは たくさん時間をかけてクラス会議が行われて
クラスの環は壊れてはそのたびに再生し より強いものになっていった

日本人学校の先生の任期は3年である
M先生は3年めに私たちを受け持って 3月フィリピンを去った
10年後 みんなが20歳になったとき再会する約束をして
「3月18日 東京駅銀の鈴」が合言葉

その後 クラスメイトたちは父親の勤務任期が終わると
ばらばらに帰国して行った 日本全国に散らばるようにして
それでも 帰国後もSを中心に連絡をとり合って
大学に入ってからは よく一緒に飲んでいる
けれど M先生とだけは音信不通

私は小5で帰国した
帰国後2年くらいは先生との年賀状のやりとりがあったが
ある年を境に「宛先不明」になってしまった
帰国後 T市の教員だった先生
どこに行ってしまったのか 

今 これだけあの時の連中と楽しくやれるのも
フィリピン時代を楽しく思い出せるのも
先生がいてくれたから
私たちの環を最初につなげてくれたのは 先生

        ++++++++++

GW前 突然Sからメールがあった
Googleで先生の名前を検索したらヒットしたよ と
個展を開くみたい
日帰りで行ける距離だよ
最終日だったら 先生に会えるかな
ねぇ 同姓同名で美術家という可能性はあると思う?

私は用事があって同行できなかったけど 
Sと他に二人 先生本人である可能性に賭けて 訪ねていった
その日 すぐにメールが来た
「会えたよ」

その簡潔なメールが実は引っかかった
そういうメールをよこすSじゃない
何があったんだろう…
そして その後詳細を伝えるメールはこなかった 今日まで
…予感はあった

16年という時は
10歳だった子どもが 
中学 高校 大学を経て
成人して社会に出るだけの十分の長さがあって
その間 先生にどのような重みの時が流れたのか 想像することもできない
きっと様々なことがあったのだろう

先生を囲んで クラス会やってみたかった
だから ずっと先生のことを探していた
それでも みんな心のどこかに予感があったのかもしれない
本当に先生は上手に行方をくらましてしまっていたから

実際に先生と話した彼女たちがどのような思いを持ったのか…
ありがとう 代表として行ってくれて
そしてお疲れ様
でもね 私ね まだあきらめてないんだ
10年後 みんなが30代半ばになった頃 もう一度訪ねてみない?
きっとまた違った物の見方ができるようになってるかもしれない
先生のこと もっともっと深く理解できるようになってるかもしれない
だって 今の私たち まだまだ幼いだけなのかもしれないでしょ?
10歳のとき とても素敵な出会いをしたのだもの
これで終わりにしたくないよ
縁はきっとどこかつながってるはず
だから 今回も再会できた

先生 10年後会っていただけますか?


::::: what's happened :::::

女子バレー アテネ五輪出場おめでとう! 
勝利の後の誇らしげな顔が素敵でした

#02「発達障害支援法案(仮)」
毎日新聞 5/14朝刊 家庭欄より

◆発達障害支援法案(仮)が国や自治体の責務として定めたこと

・乳幼児健診などでの発達障害児の早期発見と早期療育に努め、
 障害の程度と様態に応じた適切な教育をする
・就労にふさわしい年齢に達して以降は、就労を支援する施策とともに、
 地域での自立した生活を確立するための施策を講じる
・保護者への適切な支援を行うとともに、本人及び保護者の意思を
 できるだけ尊重するよう努める
・相談、支援の拠点として、自閉症・発達障害支援センターを都道府県に
 設置する
・福祉、労働、教育担当部局の連携のほか、警察など司法関係部局に対し、
 発達障害のある人への理解を促すよう努める

私が発達障害に関して勉強しているのは ほぼ乳幼児-幼児期のみ
上記5項目のうち 特に1・3項目めが今後関わってくることになりそう
こうやって言葉に表すと 簡潔になってしまうけれど
現場のいっぱいいっぱいの感じを知っているので 
法成立にあたって どこから手をつけていくのだろう
まずは 相談機関の交通整理からかな

地域によって 教育相談所や児童相談所・保健所など
様々なところに窓口があって 情報伝達がうまくいかないことも多い
特に障害のある子どもの育児支援においては 
ST(言語聴覚士)やOT(作業療法士) 心理士 保健師他
様々な専門性を持つ人々がチームであたることが多い
ポイントはチームワークと関連機関の連携プレー
地域ネットワーク作りが早急の課題になっている
国にはぜひこの部分にてこ入れをしてほしいところ

---この話題 書いているうちにどんどん長くなってしまうので
  短期連載にしちゃいます
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by peacetree | 2004-05-15 02:45 | あしあと
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